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2012年01月04日

気づいたこと

最近の「自己啓発本」は、半年前よりも上のステージに確実に上がった内容を語っています。
そして大半、おなじことを言っています。

「心で考えることを制御しなさい。」

多くの人は「ただ、考えている。」
TVをつけ、それが面白ければ笑うし、涙をさそう内容なら泣く。
そうして、外側で起こる出来事に反応して頭に浮かぶことをいつも感じて生きている。
しかしそうして自分の頭で考えていること自体が自分の周りの世界を決定し、引き寄せているのだということに気づいていない。

『引きよせの法則DVD』ではそれをこう表現しています
「現実化は波動の配分に呼応して起こる。」

それに従うなら、私たちは毎日毎秒、自分に対して肯定的なことだけを考え、
自分にとって良い未来のことだけを考え続けることが最善のことということになります。

実際、私自身も「お金の不足」ということを考えることをやめました。
先月使いすぎたから今月はこれだけマイナスだからどこかから手に入れなければ、などと考えるのをやめたのです。

実はそのおかげで、お金はいつのまにかやってきて、「不足」を考えることがなくなりました

しかし、だからと言って「余分に100万円欲しい」などと毎日考えたところで、
いつまで経ってもその100万円は私の元には来ません。

そしてつい、気を抜くと、
またもやお金が足りないような状況がやってきました。
『100万円欲しい』などと考えていたことが余計に不足を意識する結果になったのだと思います。

つまり、現実としてあらわれることによって
私は、『不足』を考えることから完全
に抜け出し切れているわけではなかったことを知るわけです。

これを気がつけるようになったことが、
ひとつの到達点であった、思います。

とにかく良いことだけを考えることに、専念をする。
良い感情を感じた状態を朝起きてから夜寝るまでキ一プし続ける

そういう精神状態にいるならば、
外側にあるチャンスに気づける、ということなのです。
posted by となーす at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月03日

2012年の始まりに当たって

2012年の12月にマヤ歴が終わり、新しい時代がスタートする。
これはいくつかの本に書いてあり、おそらく本当に変わるのだろう、と私は思っているのですが、
この日本に生きていて、なんとなく、それに向けて人々の心というものも着実に変化しているように思います。

とくにこのブログで取り上げている、いわゆる“スピりチュアル系”の書籍群を片っ端から読んで行くと、全体として一つの方向性が見えてきます。

それが何かと言うと、
「個人」
「なぜ私たちは“個”として生命を与えられたのか?」

そう言うテーマがあるように思えてなりません。

「目標を紙に書くと願望が実現しやすい」
という情報について、
本当に“誰でも”「紙に書けば夢が叶うのか」と聞かれると、それは、答えは一つしかありません。

“誰でも”叶うわけではありません

それで叶った人もいるし、叶わなかった人もいる。
それが真実でしょう。

結局、
願望実現とは、
自分を称賛する、ということとセットである気がします。

例えば、『一億円』欲しい、という願望を持ち、
紙にその願望を書き続けた結果、
宝くじに当たったとしましょうか?

その一億円を手にした時、
同時に、自分のことを称賛できるでしょうか?
今まで年収300万のセルフイメージを持っていた人が
一億手にしたことで
“自分て、なんて素晴らしい存在なんだろう、よくやったぞ自分!”
てな感じで自分を称賛できるでしょうか?

おそらくそうではないでしょう。

このお金をもたらしてくれたのは、
神様のおかげだ、と思ったり
紙に書くと夢が叶うことを教えてくれた本の著者のおかげだ、
と思ったりするのではないでしょうか

そのように思った時点で、
一億のお金を持つに値しない人物であることが確定するのではないかと思うのです。


どんなことに情熱を注ぎこめば
幸せになれるのだろう。
また、それを見つけるには、どんな態度で毎日を過せばよいのだろう。
大金を手にしたとき、そのお金でどんな経験をすることが自分に満足をもたらすのだろう。

こういう質問を自分に対して投げかけ、
自分でそれに答えていく。
そうすると、潜在意識とやりとりを行ったことになり、
潜在意識が方法をさがしてきてくれる。

よくよく世界をながめていると、
『こういう経験がしたい』という願望の方が、
『1億円欲しい』という願望より、自分の感情を高ぶらせ、細部にわたってイメージを喚起させてくれるものであることに気づきます。

私たちは、それらの経験に直でつながろうとする前に、「とりあえず経済的な余裕を」などと考え、結果「お金持ち」にもなれず、したかった経験も未達のまま何年も無為に過ごしてしまうのです。
そして手元に残るのは、「とりあえず続けてきた、本当は好きでもなんでもない仕事に関するスキルと知識」
しかし、いくらこんなものを持っていても自分以外の誰かに影響を与えたり、感動させたりできるはずもありません。
そういう人の末路は、当然というか、至極まっとうな形、『孤独死』になるのではないでしょうか?

こういうことに一刻も早く気づくべきだと思うのです。
そして自分というありのままの存在から出発して、自分の好きなもの、興味を引かれるものを手がかりに人生を再構築すベきなのです。







posted by となーす at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月02日

聖なるヴィジョン

あけましておめでとうございます
いよいよ2012年が明けましたね

今年は
個人のあり方がテーマになる年になるだろうと思っています

そんな意味で
今年一発目の読書は「聖なる予言」シリーズ最新作「第十二の予言 」から始まりました

しかしこの本
小説の形を借りた自己啓発本なのですが
それゆえに、といいますか、
「シンクロ率」を要求される本なのです。

つまり、主人公とうまく心が同調していないとまったく内容が頭に入ってこない

啓発のステージが上の方に来ると
「まだおれにはこの先は無理だ」となるのです


第十二の予言 アマゾンのレビュー

なので、先に進むのは後廻しにして
シリーズの過去作品を少しおさらいすることにしました

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聖なるヴィジョン (角川文庫)アマゾンのレビュー

気になった個所を抜粋しますね

コントロールドラマはどこでも起こり得る。職場、買物の途中、誰か大事な相手と話をしている時などである。最初は私達は、新しい気持で心を広く開いている。しかし次に何かが起こる。状況が一転してストレスに満ちたものになり、自分が古いコン卜ロ−ルドラマに舞い戻ってしまったのを発見する。大いなる自己のエネルギーを保とう、観察者の立場を維持しようと必死になるけれど、自分の他の部分は防衛的な行動を続けている。。自分の行為を観察して自分自身について大きな気づきを得るのは、このような時である。自分のくせやありがちな行動について、人から以前言われたこと、その時は猛然と自分が反発した助言を思い出す。しかも、それが正しかったことに今、やっと気がつくのだ。「そうか、プレッシャーがかかった時の私の行動は、こんなだったのか」と言いたくなりさえする。こうして、相手に罪悪感を持たせる犠牲者、よそよそしい傍観者、批判的な尋問者、恐怖を与える脅迫者のどれかを、自分の中に見るのだ。それがどれであれ、他人のエネルギーを支配する自分のやり方にはっきりと気づく、という体験をするのである。(中略)ここで一つ、疑問が生ずる。こうした態度や行動は、どこで始まったのだろうか?そして、それに対して、私達は何ができるのだろうか?(P124)



幼い頃の両親、兄弟などをまだ責めずにいられない自分がいるとすれば、それは責めること自体が、コントロールドラマだからである。虐待された体験談をして同情やエネルギーを勝ち取ろうとするか、自分の傍観者や尋問者のドラマを合理化しようとしているのだ。目分自身を過去から解放しないと、内なる神のエネルギーとのつながりを十分に追求できないのは、このためである。人を非難すれば、必ず昔のドラマへと振り戻されてしまい、それ以上エネルギーを拡大し続けることができなくなってしまうのだ。(P127)

許すことだけが、何回もくり返している無駄なドラマに終止符をうつことができるのだ。(P127)

セラピストの多くは、私達が非難しているすべての人に許しの手紙を書くように勧めている。別に、その相手と会う必要はない。手紙を書くという作業は過去をしめくくり、新しい人生を始めるために空気をきれいにしてくれるのだ。許しは私達が獲得したばかりの観察者としての意識を、さらに強化する。許しで大切なことは、すべての人がその時その人にできた最高のことをしたのだということを、認めることなのである。(P127)

ここまで来ると、コントロールドラマを効果的に手放すことができるようになる。すべきことをきちんと行なって、いつものドラマに自分を押し込めていた過去に対する姿勢を克服すれば、私達は霊的な自己を完成して、社会に規制された自己を捨て去ることができるのだ。この意識状態になると、自分の行為や人生を観察者の立場から見ることが簡単にできるようになる。そして、起こってくる事を客観的に、しかも冒険を愛する気持を持って信頼して、見守るようになる。こうなれば、偶然の一致のメッセージを理解し、それに従うことは容易になり、どんなにストレスの強い状況でも、注意深くいられるように。なる。(P128)
大いなる自己の立場を自分で常に維持できるようになると、エネルギーの増加と自由の感覚はすぐに、次の疑問を投げかけてくる。自己防衛のために同じドラマをくり返していた人間が本当の自分ではないとしたら、一体、自分の人生とは何なのだろうか?自分は何をすべきなのだろうか?(P129)

子供の頃の家族体験で知らなければならないのは、次のことである。なぜ、自分はこの場所で、この人達の間に生まれてきたのだろうか?一体、自分は何を決めて生まれてきたのだろうか?(P130)

家族は私達が最初にこの世界はどんなものであり、自分は人間として何を期待されているのか、学ぶ場所である。(中略)つまり、私達は人生の最初の十年間を、両親の目を通して世界を見、また彼らの説明、感情的反応、創造性などをじっと見てすごしたのだ。このプロセスを通して、私達の最初の世界観が形作られていった。(中略)両親がどんな人間だったか、どのように世界を見ていたか、良く良く調べてみなければならない。そしてさらに大切なことは、彼らの実現した夢、実現しなかった夢が何であったかを深く探ることである。(P131)


心理学者によると、世界は自分の要求を満たしてくれるかどうか、また、自分の体験がポジティブなものになると思うかどうかという基本的な思い込みは、生まれてから五年間で確立されるそうである。母親が自分の要求に応えてくれれば、私達は基本的にポジティブな見方をするようになるはずだ(P132)

彼女が人生で大切にしていたことは何だろうか?家庭だろうか?仕事だろうか?彼女の価値観は、社会一般の感覚とどう違っていただろうか?彼女は老いてゆく時、健康、癒し、霊的な生活に対して、どのような態度を取っていただろうか。魂のレべルでは、人間はいかに生きるべきだと思っていたのだろうか?そして、彼女はどれぐらい、その思いを実現することができたのだろうか?(P133)

一番大切なことは、あなたの大いなる自己の視点から、母親の今までの人生全体を分析することである(P133)

両親の人生を深く見てゆくと、たいていは、自分が非常に違った二人の人間の間に生まれたことに気がつく。彼らは世界観も興味も価値観も、まったく別なのである。その二人の間で育ったということは、何を意味しているのだろうか?両親が互いに異なった考え方を妥協させようとして生ずる争いを、私達は目にしてきた。子供だった私達は、この和解を自分流に理解していた。そしてこの個性的な二人の間で成長し、社会に出てゆく間に、二人の生き方を統合して、自分のものとしてきたのだ。 私達の課題は、両親の考え方を統合してよりすぐれたもの、より真実に近い生き方を示すものを作り出すことである。(P135)


幼い頃の家族の影響から、共時的な紆余曲折、行きづまりや誤り、成功などのすべてを通して、一体、自分は何を人々に伝える準備をしてきたのだろうか?もっと自由で霊的に生きる方法について、どんな真実を自分の経験に基づいて人に伝えることができるのだろうか?(P139)


一つ確実なことがある。自分の真実に焦点をあて続け、高いエネルギーを保ち続ければ、うれしいことに偶然の一致が頻繁に起こり始め、しかもそれまでよりもずっと意味のあるものになってゆくということである。(P141)

現在の私にとっては
これらの文章の方が救いになってくれました

posted by となーす at 02:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 聖なる予言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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